人生の夏休み

「人生の夏休み」


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大学生活は人生における夏休みだ。


だから今のうちに、心置きなく遊んどけよ。


大学一年生の頃、既に就職した従兄弟に言われました。


時に授業は呼吸をするかのようにいとも簡単に切れてしまう。

オールはお手のもの、翌日授業は例によって自主休講。

長い長い夏休みと春休み、旅行し放題。


担任もいない、上司もいない、大学生活は人生の中で一番フリーダムなサマーバケーション。なるほど確かに間違ってない。

 さあそんな約4年間の夏休みを、どう自由に過ごそうかということです。


長くて短い

無制限に見えて気づけば終わりかけている

時に自由すぎて持て余してしまう

人生のなつやすみ


私は、あと一週間でモブともお別れし就活まっしぐらのいわゆる「青春が終わる」頃にさしかかっています。


ここ一年間、特に近頃は引退企画の準備に追われ、のんびりサマーバケーションを過ごしたとは言えない期間でした。

引退企画なんかうまくいかないことだらけなのでまさに極寒の冬。


だけどこの道を選んで良かったなと思っています。


大学生活の途中までは割とだらだら過ごし、何かに一生懸命にもならず、何となく過ごしていました。

だけど私も熱くなってる仲間をみて、焦って、憧れて、変わりたくてだらだらバケーションから抜け出してみました。


そしたらちゃんと「大学生活で頑張った事」が言えるくらいにはなっていました。


あのまま何となく過ごしていたら、自分は大学生活何をしていたんだろう、私って「何者」なんだろう、と分からないままだったかもしれません。


ーーー「大学生というのはあまり停車駅のない長距離列車にのっているようなものである。時間はさらさらと脇を流れていってしまう。」


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前に読んだ小説にこんなことが書いてありました。


モブにはたくさんのチャンスが転がっていますよ😊



さあ 短くて長い、最高に自由な夏休みをどう過ごしましょう。


記:夏が恋しいさん

信じる

最初にくだらない自分語りをさせてもらうので、興味ない人は読み飛ばしてください(笑)


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自分は出席番号がいつも1番でした。


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そのせいで、新学期の自己紹介も社会の授業のプレゼンも、担任の先生との進路相談もいつも最初にやるのでした。

だから、「誰かのを真似る」という行為が許されず、むしろ「誰かの見本にされる」という立場でした。

そうして身についたのは「失敗をしないように自力で卒なくこなす」という能力でした。


大学に入ってもとりあえず失敗することだけを避け、極力人に頼らず、中途半端な完璧主義者を装っていました。


しかし、それは去年の早稲田祭に揺るがされました。


ダンボールの悪夢。


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自分のキャパシティを軽々と超えてくるとんでもない量の仕事が降り注いできました。

それでも、身に染み付いた気質は人に頼ることを許してくれませんでした。


ただそれも限界を超えました。

人に頼らざるを得なくなったのです。

たくさんの人に迷惑をかけた結果、早稲田祭は無事成功を遂げたように思いました。


無事任務を遂行したという達成感と人にたくさん頼ってしまったというやるせなさに包まれていた中、先輩から助言をもらいました。

「みんなのことをもっと信じて頼ってもいいんじゃない?」

衝撃が走りました。



"信じる"


もしかしたら自分は周りのみんなを信じきれてなかったのかもしれない。

その時から自分は周りの人に手伝ってもらうことに抵抗がなくなっていきました。

その人に手伝ってもらいたいと思うのは"その人を信頼していて、その上で力を貸して欲しいんだ"ということに気がつきました。


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そして迎えた最後の早稲田祭

1つの企画の責任者という重大な役目を背負うことになった自分は、副責任者とチームリーダーのみんなの能力を信頼していろんな仕事をお願いしました。

すると、【責任者という立場である自分にしかできないこと】が見えてきて、企画の中で自分の力を発揮することに集中できました。


結果、かけがえのない時間と最高の思い出をたくさんの人から頂くことができました。


ありがとうでいっぱいです。

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長々とすみません。

最後に一言だけ言わせてください。


【人はできないことができるようになった時に成長をするもの】だと常々思ってます。


皆さん、是非「自分にはできないんじゃないか」と思っていることに挑戦してください。

その挑戦をしていて辛いことがあって倒れそうになったら周りの人たちを信頼して助けを求めてみてください。

ここは喜んで手を差し伸べてくれる人がたくさんいるとても温かいサークルです。  





みんな、今までいろいろと助けてくれてありがとう。


大好きなみんなが、少しでも多くの有意義な時間を過ごせることを願っています。

 

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記:匿名

間違いを認めること

間違いを認めること


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昨日と今日とで言っていることが違う人には説得力も責任感もありません。

自分の根本にある考えをしっかりと知り、それに自信を持つことはとても大切なことです。

しかし、自分の考えを曲げないことと間違いを認めないことを勘違いするのは正しいことではないです。



学生時代は新しい考え方にたくさん出会います。それは良くも悪くも自分に影響を与えていきます。

その中で、今までの自分を否定するかのような意見に出会うことがあるかもしれません。そんな場面に出くわした時、当然にこれを突き放すことはもちろんできます。

それが普通の行動でもあると思います。

しかし、そこで一度立ち止まり、自分の考えが果たして100%正しいのか、1から問いただしてみてはどうでしょうか。


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今まで自信を持って来たことが間違いであると認めることは勇気の要ることです。

それを認めることで今までの自分の行動を否定することになりそうで怖いと思います。

しかし、だからと言って非を認めず今までの自分を正当化しようと異なる意見に抵抗すると、さらに間違ったことを重ね続けることになります。

そしてそれを先送りにすればするほど引き返せなくなって行きます。

ズルズルと引きずっていい年になって後悔するくらいなら、学生時代の今、勇気を持って変わってみるのも悪くはないのではないでしょうか。


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プライドを持つことは必要ではありますが、安いプライドは未来にいい結果を残しません。

今までの考え方や行動指針を真っ向から否定する必要はないです。

安いプライドを捨て、一度今までの自分を振り返りつつ、新しく出会った考え方も自分の中に取り込んでお互いの良いところだけをとれば、もっと良い自分になるんだと思います。



自分の持つ考えが間違いであることは必ずあります。

自信を持って来た考えが間違っていることを認めることは難しいことでもあります。

でもそこで一度考え直し、新しい自分になることは案外楽しいことかもしれません。

引退が近づき就活が始まる3年生の僕にとっては、このような場面が増える時期であると思います。

自分の考えに根拠と一貫性を持ち、バイアスは持たず、安いプライドを捨て、自分の意見を言いつつ時には間違いを認め新しい自分になる。

その繰り返しが不毛な時間を減らし、良い将来につながるのではないかなと思います。


まぁ、何事もバランスが大事ですけどね。


記:スプモーニ

生きてるだけで儲けもん⁇

''生きてるだけで儲けもん”

 

みなさんいきなりですが、この言葉を聞いたことありますか⁇💡   これは、あの大物芸能人さんまさんの座右の銘でもあり、自分が人生で最も大事にしてる考え方でもあります。要するに生きているだけでラッキーという意味です!


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自分も本当に生きているだけでラッキーって考えているので、少々嫌なことなどががあっても、基本的には「まぁ生きてるしいっか」とか「まぁ話のネタにでもすればよいか」という風にあんまりに気にしません。


でも自分もずっと昔からこのような感じだったわけでなく、嫌なことがあったら結構塞ぎこんだり、失敗をずっと引きずるようなこともあったと思います。でもあることをきっかけに考え方が大きく変わりました。




三年前の夏 、、 自分が高校三年生の時に

最も仲良かったクラスメートを亡くしてしまいました。  その友たちは学年一の人気者で、クラスは毎日彼のおかげで笑いが絶えませんでした。当時の自分はそのことを受け入れられことができず(今もですが)、絶対実は、、ドッキリでした❗️ っていつもみたいにカーテンの後ろから出てくるもんだと思っていました。



しかし、残念ながら、彼にいくらlineをしても返事は返ってこないし、どんなに望んでももう彼に会うことはもう出来ません。

そのことによって、人って本当にいなくなってしまうんだなっていう、あたりまえなんだけど、決して当たり前ではないことに気づかされてしまいました。



それから、自分がいままでなんとなく過ごしていた毎日は決して当たり前なんかではなく、自分がこうやって生きていられること、大好きな友達と一緒にいられること、全て生きているからできる特別なことなんだなって、思うようになりました。





生きていれば、本当に色んな事があると思います。

 

失敗をしたり、なかなか上手くいかないことがあって悩んでしまうこともあると思います、 忙しさや責任感、プレッシャーに押しつぶされそうな時もあると思います

そういう時は「まぁ生きてるだけでラッキーみたいなとこあるし、とりあえずいっちょやってみるか」みたいに思うと少し肩の荷が下りるかもしれません。 

そしてその結果いくら失敗をしたって良いのです👏🏻       その後何度でもやり直せばいいし、失敗はいずれはお酒のつまみにでもすればいいんです🍺





たった一回限りの特別な人生、自分は生きているそのこと自体が『一番の宝物』だと思っています。

大事な家族、友達、恋人といられる時間を決してあたりまえなんて思わないで、これからの人生自分の信じる道をとことん突き進んで、最高のものにしていってください‼︎‼︎


まとまりのない長い文章読んでくれてありがとうね^ ^

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コカコーラとサンタ


今回のモブはサンタが出てくるということで、“サンタ服の服は赤”というイメージの出来上がった経緯について少し調べました。

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○サンタの服の色は赤でないものもあった


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元々、サンタの服装はバラバラで、緑のもの、普通のボアのコートを着ているものなど様々でした。そんなバラバラだったサンタ服のイメージは1930年代のコカコーラの広告で赤い服を着たサンタが登場したことがきっかけで赤色で落ち着きました。



○なぜサンタがコカコーラの広告に使われたのか?


コカコーラは当時、麻薬のコカインや多量のカフェインが入った飲み物という悪いイメージが根強かったため、子供からのニーズが低かったのです。このイメージを払拭し、子供市場を開拓するためコカコーラはサンタクロースを使った広告を出しました。



サンタクロースは子供にとってどこにでもやってきて、プレゼントをくれるありがたい存在であり、そのイメージをコカコーラにも付与して、「子供のいるところに、コカコーラあり」といったイメージを植え付けようという戦法です。

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この広告をきっかけに他の企業で使われるサンタの服も赤色となっていきました。



現在のコカコーラは子供や女性にも飲まれており、かつてのイメージを払拭できたと言えるでしょう。



フラッシュモブも現在なにかとイメージが悪いですが、このコカコーラの広告のように、イメージの良いものと組み合わせてイメージアップを狙うというのも、フラッシュモブ文化を広める一つの手かもしれませんね

誰に向けてのLOVEですか?

皆さんこの企画のコンセプト覚えてますかね!覚えてない人!今すぐこの記事を読もう!😤(覚えてた人も読んでね)


ってことでそう、この企画のコンセプトは【LOVE FOR ALL ,ALL FOR LOVE】です。

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えっこのコンセプトはどんな意味だって?そんなもん自分で考えろ!



いや実際みんなに自分で考えて欲しいなーって思って考えたコンセプトなのでそう答えるしかないんですよ…。つまり答えは人それぞれってこと!


でもそれも無責任過ぎるなーと思ったので一個の例示として僕が解釈するこのコンセプトの意味をつらつら述べようかなーと思います。



ここで注意ですが僕のが答えではありません!真実はいつも一つじゃありません!!


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僕が思うこのコンセプトのLOVEの対象は「その場に偶然居合わせた人」です。



その場に居た


フラッシュモブ初めてみた!😭」って好意的な人はもちろん、「あーなんかやってるわー😀」って興味なさげな人も「うわ、フラッシュモブ邪魔👎」って嫌悪を抱く人も全員です。



先代の副幹事長中村陽香さんはおっしゃいました


フラッシュモブは人の人生を変えてしまう」


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と。これは依頼者ターゲットさんに向けての言葉でしたが、これは普通のオーディエンスにも当てはまると僕は思います。



好意的な人はもしかしたら他の人にフラッシュモブ仕掛けてしまうかもしれないし下手したらうちのサークルに入るかもしれない。


興味ない人も嫌悪感抱く人も思わず


「いいな!」


って思わせることができるかもしれない。


一つの考え方を変えられるかもしれない。


考え方が変われば思想が変わるかもしれない。思想が変われば人生だって変わります。



最近フラッシュモブのイメージ低下の話を良くしますけど、イメージが低下してしまっているのは仕掛ける側がその場にいる人の


「時間と空間を奪う責任」


を果たせてないからです。(時間と空間の話は全体でもモブ人流儀でも話しましたね。)



僕たちは観客と「時間と空間」を「ともに」過ごすのです。ウィズ観客。



じゃあその責任を果たすにはどうするべきか。



それが偶然だったとしても、いや偶然だからこそ「観てる」人たちに「愛」を持って最高のパフォーマンスに臨むことです。


愛があるならば例え完璧ではなかったとしても自分の中の最大限を出し切れば良い。



以上が僕の解釈になります。長いですね、すみません。


今回はこれくらいにしますが伝えたいことはまだまだあるんですよ笑



皆さんコンセプトは思い出せましたか?


そして自分なりのコンセプトの解釈をしてみてください。その後に自分はこう思うってものを僕に伝えてくれるととても幸せです。



責任者・2代目代表 閨(ねや)良輔

モ部に恋して

あくまで一般意見だと信じます。 

 人って恋をするとその人のことをずっと考えてしまいませんか?///  

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 ある人は言いました。 『朝起きてその人のことを考えるようになったらそれはもうその人のこと、好きなんだよ。』   


今日会えるかなぁ〜〜 今日お話しできるかなぁ〜〜  とかね。 




  Love for all, all for Love.   


”愛”   

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愛って、恋をした時の気持ちの1つなんですよね。


  ということは、コンセプトを叶えるためにはそのフラッシュモブに"恋"をすればいいんです。

 朝起きて、一瞬だけなんでもいいからこのモブのことを想ってください。  



あ、でも、なんでも良くない日は本番の日だけ。 

 あなたは何を想いながら踊りますか?  

振りは、言っちゃえば”愛”を乗せるためのツールでしかないんです。 

 でも振りはみんなが一緒に頑張れる方向を指してくれてるんです。  



それに”愛”をのせて本当に完成させるのはみんなです。  

早稲田大学フラッシュモ部の誇れるところは、誰かのためを想って踊ってくれる人がたくさんいることだと自分は思ってます。 


  さぁ、あなたは本番、何を想いながら踊りますか? 

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名前:スタンプの覇者